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HowTo企画

『文章作法編』



 さて、「はじめての文章作法 その二」です。
 今回は、予定を変更して「文章における視点・人称について」です。




■視点とは■

視点とは、例えるなら「ビデオカメラで何かを撮影するときに、誰がカメラを持っているのか」ということです。

主人公が自らカメラを持って撮影しているのと、セットの外でカメラマンが撮影しているのとではまるで映像が違ってきますよね。
主人公が持っているカメラには、主人公に見えている風景が写り、カメラマンのカメラには主人公を含めたセットの風景が写ります。

小説や、ゲームのシナリオのタブー・注意事項のひとつとして「視点が混乱してはいけない」というものがあります。
もしも、主人公とカメラマンの撮影したテープがワンカットの中でごちゃまぜに使われたら、視聴者は何が起こっているのかよくわからなくなってしまう、ということです。

視点の扱い方は、次に述べる「人称」によって違ってきます。

文章の「視点」について語る前に、まずは人称というものについて説明します。




■人称とは■

人称とは、文章とその語り手の関係を示すものです。
一人称・二人称・三人称の三種に分かれます。

たとえば、今わたしが書いているこの文章は「一人称」。
小説の場合だったら(セリフ以外の、『地の文』で)
「わたしにとって、それは忘れがたい事件だった」とか、
「僕はとても嬉しかった」のように、文章の主体が語り手自身であるものです。
小説や、ノベルゲームのシナリオでよく見かけますね。

二人称は聞き手が主体の文章。
「あなたにはそれは忘れがたい事件だったのだろう」
「君はとても嬉しかったんでしょうね」
のような。
ただ、『地の文』が二人称である小説はほとんど見かけませんし、私自身も書いたことがありませんので、説明は省きます。

三人称は、語り手でも聞き手でもない、第三者が主体の文章です。
「彼女にとって、それは忘れがたい事件だった」
「少年は心から喜んだ」
のように。
三人称といっても、視点の主体が語り手だったり、いわゆる『神の視点』だったりと色々あります(後述します)。

さて、ここでは各人称のもつ特徴などを説明致します。




■一人称について■

まず一人称について。

ビデオカメラを主人公(語り手)が自分で持ち、撮影しながら喋っているような感じ。
自分自身は見えないけど、主人公が見ている風景は写っているでしょう?
文章ではそこに、主人公の感じていること・思っていることが加わります。

視点は常に、語り手の側にあります。
手紙(メール)や、会話するときと同じですね。

書き手は、語り手となっているキャラクター(仮に秋子さんとします)が見て、感じたものを文章にしてゆきます。
「わたしは先に帰ろうと考えている。だって、寒いし、お腹が空いているからだ」
と、こんな感じで秋子さんの感情、思惑などを表現しやすいという利点があります。

ただし、あくまで秋子さんからみた視点でしか物事を語れませんので、他の人物から見た物事や、秋子さんがいなかった場面について描写するのであれば他の人物などから聞いた『伝聞』として書くことになります。
「後に夏夫から聞いた話によれば、わたしがひとあし先に帰ったあと、春代さんはその漫画を読んで大爆笑していたとのこと」
のように、伝聞でなくてはなりません。

伝聞系を使わず、
「わたしが一足先に帰ったあと、春代さんはその漫画を読んで大爆笑した」
このような文章になってしまうと読者は混乱してしまいます。
「ひとあし先に帰った」ためにその場にいなかったはずの秋子さんが、どうして「春代さんがその漫画を読んで大爆笑していた」ことを知っているのか? と。
秋子さんがエスパーである、とかいう理由があるのであれば別ですけどね。

また、どうしても主観的な文章になりますから、ものごとを客観的に描写しづらい、という特徴もあります。

「文章の主体である人物が知らないはずのことを書かない」ことさえ心がければ、日記や手紙を書くときに近い感覚で文章を書けますので、一人称の文章は初めて小説を書くような方にも扱いやすいのではないかと思います。
感情を主観的に書かれているため、読者が感情移入しやすいという利点がありますし。




■三人称について/一人称よりの三人称■

三人称は、語り手や、あるキャラクターの視点を通した(一人称に近い)ものと、人物の誰でもない、いわば「神様」からの視点から書かれた二種類あります。

「一人称に近い三人称」は、主人公の後ろにカメラマンがぴったりくっついて撮影しているようなものです。
こちらは、一人称と同じく、その文の主体となっているキャラクター以外の視点を混ぜることができません。
なぜかって、読者が混乱してしまうからです。
もし、他のキャラクターからの視点を入れたければ、一旦その文章を区切り、そのキャラクターの視点に切り替えた文章を書きます。
このあたりは、カメラの切り替えをイメージしてみるとうまく書けると思います。

例:
  こみ上げてくる不安に、秋子はうつむいた。隣の夏夫は慰めてくれてもいいのに、ただ黙っているだけだ。
  
  夏夫は秋子の青ざめた顔を見てはいられず、窓の向こうに目を向けた。




■三人称について/神様視点の三人称■

「神様の視点」。
こちらは、カメラマンがセットの外側から撮影しているようなものです。
誰の視点でもない、これは透明人間の視点とでもいいますか。
描写の中に、その場面にいる誰かの主観が入り込むことがありません。一歩離れたところで見ている人が観察しているような文章になります。

例:秋子は青ざめてうつむいた。その横顔から逃げるように目をそらし、夏夫は窓の向こうに目を向けた。

感情の描写を、深く書き込むということがしにくい(特に、神様視点の三人称の場合)という特徴があります。
そのためものごとを淡々と並べてゆくだけになりがちで、臨場感が薄いものになってしまうことがあります。

ただし、客観的にものごとを伝えるのには向いています。
とくに、説明的なことなどは、スムーズに描写できます。
主人公がいない・見ることのできない場面を(例、その場に居なかったり、眠ってしまったり気絶していたりしているあいだに起きた出来事)そのままズバリと書くことができます。
そのため、場面を自由に変えることができ、構成に幅を持たせることができます。

三人称の文章は、一人称寄りでも神様視点でも、「その文章の視点は誰のものか」ということを常に意識する必要があるため(そうでないと読者が混乱してしまうからです)、
初めて物語を書くという方には少々取っつきにくいかも知れません。
ですが、上でも書きましたとおり、構成に幅を持たせることができる・(一人称に比べて)書き込むことのできる情報量が多いという利点がありますので、使いこなせるようになると
面白い作品が書けるのではないかと思います。




■まとめ■

三人称にも一人称にも、それぞれの長所・短所がありますから、ご自分が伝えたいと思うことにより向いていると思われる方を選んでください。

カメラマンのテープと主人公自身が撮影したテープが混じった映像でも、つなぎ方によってはわかりやすいものになるかもしれません。
視点があちらこちらに飛んだ文章を書こうが、人称が滅茶苦茶になっていても、読者に伝えたいことが伝わってさえいればオーケーなのです。

ただ、ある程度きちんと『視点の使い方』というルールを守った方が、より効率的に『伝える』ということができるのは間違いないのではないでしょうか。




さて、今回はここまで。
次回は……まだどのことを書こうか決めていません。
文章のお作法について書くのは間違いないと思うのですけど、何かまた別のことを思いついてしまうかも。
『臨機応変』と『思い立ったが吉日』がわたしの口癖のようなものなので、お察しください。

それでは!


文責:漣 夏海(グリーンティミルク。)
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「はじめての文章作法」その三へ続く

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