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すろ〜ふ〜ど
HowTo企画

『プロットワーク』

index:

プロット第一回目「プロットとは何か」
プロット第二回目「イメージは全ての根元」

プロット第三回目「あらすじがプロットの中心」
プロット第四回目「プロットのまとめ方」

第二回「イメージは全ての根元」

■ イメージ作業とはなんすか?

● 世界はイメージで出来ている

武道の本とか、スポーツの本とかを読むと、大事なのはイメージする力だと書いてあります。
体の大きさとか、神経の反応とかではなくて、体の動きをきっちりと頭の中に思い浮かべるイメージ力こそが、一流のスポーツマンになる資格らしいですな。

余談ですが、ビジネスの成功法則とかも、うるさくイメージの事をいいますね。
君が思い浮かべた願望は必ず実現する! それが成功の秘訣なんだ!!
とかね。
これもイメージ力の話なんですが、べつに失敗しないわけじゃあないです。
ビジネスにおいても、仕事の段取りを組んだり、準備をしたり、予測したりの時の為にイメージ力が絶対に必要ってだけで、強いイメージ力があるから必ず成功するってわけではないようです。

面白いことに、実在されると言われる魔法も、イメージ力が大切らしいです。
たとえば魔法陣の四隅に大天使を召還し、守護してもらう魔法ってのがありまして、この魔法の成功のコツは大天使を実在するかのようにありありとイメージする事だそうですよ(^^)

こうしてみると、どうやら世界というのはイメージでできている模様です。

で、物語というのは、イメージで作られた人間世界の中に、個人的なイメージで囲った小宇宙を作りだし、他者に見せる行為だ、ともいえますね。

人間は世界をイメージで把握しているのだから、イメージで出来た物語は、個人の想い出と、ほぼ等価な物となるわけです。
(なんでほぼなのかというと、物語と現実の記憶の区別はきっちりと引かれていて、混在しないので、まるっきりの等価ではないもようです)

● イメージの限界点

で、無限の可能性が広がる感じのイメージ力ですが、実は限界があったりします。

・知らない事は思えない。
・見たこともない現象は思えない。
・ぶっちゃけ、神様は思えない。

という限界です。

知らないことはイメージとして紡ぐ事ができません。
だって、知らないんですから。
知らない部分というのは何か茫漠とした空白っぽくイメージ世界にあります。
たとえば、古代中国の事をイメージしようとしても、歴史とか知らないとイメージが広がりません。なんとなく、原始の人が「ふんがー」とか出てきそうな薄いイメージしか出ないんですな。

知らないことは、知る事でイメージのとっかかりをつかむ事が出来ます。
歴史系の物語を作る人なんかが沢山の本をあたって調べるのも、良いイメージを紡ぎ出すために原料を仕込んでる訳です。

見たことがない現象はイメージとして紡ぐ事が出来ません。
一度思考実験したのですが、日本のオタクさんはウルトラマンがあるので、ビルぐらいの大きさの生物まではイメージすることができます。
それ以上になると、イメージの中で拡散がはじまり、あんまり生き生きとしたイメージを紡ぐことができません。
同じように、超速度で戦う人たちとか、一撃で都市一つを壊す攻撃とかをイメージすることはできにくいのですな。

これらは知識として得たり、工夫したりで解消出来る部分も結構あります。
超速度で戦うのは、サイボーグ009の、体感時間の流れが遅くなるという描写でイメージすることができますな。
つまり、運動速度が超速いイメージが出来ないのだから、逆に、世界の方を遅くすることで、超速度を描写して、イメージをつたえるわけですな。

神様は物語イメージとして紡ぐ事ができません。
神様なのでねえ。
ギリシャ神話等の人格神までは、能力をもった人間扱いですからあまり問題ないのですが、その上の全能の神様あたりになると、ちょっとイメージ力限界に近づきます。
何でも出来る存在って、われわれは知らないので、どんな事を考えるのか、他人をどう思うのかがイメージの埒外になります。

で、これを逆さにして言うと。
知識の蓄積でイメージの成立限界点は広がる。
とも言えます。

● イメージ力を作るための訓練

では、生き生きとした物語を作るためのイメージ力はどうやって養ったら良いのでしょうか。

本を読む
映画を見る
漫画を読む


つまり、他コンテンツから、知識やイメージの種を貯蓄して、自作の方へ転換するのですな。

あと
実際に体験してみる。
というのもあります。

たとえば、剣道や空手の武道を実際にやり、体の動きや戦いの感じを実体験として覚えるというのもイメージの獲得として良いのです。
旅行とか恋愛体験とか肉親との死別など、実体験ほど強いイメージの種は無いのですな。積極的に色々やった人が良いイメージを紡ぎ出す事ができると思いますです。

全ては芸の肥やしなのでありますよ。

瞑想 とか魔法の訓練
これらのオカルティックでスピリチャァルな訓練は物語とかに効くでしょうか。
結論から言うと、イメージ生成の面があるので、ある程度は効きます。
ですが、これらは近道に見えて、我を外に置く行為なので、実はそうとう遠回りです。
大いなる力を外側に置いて、助けてもらおうというズルなので、意外に大成しません。
外側に置いた大いなる力は、じつは自分の内なる力の投影なんだと悟った瞬間に世界が反転し、大いなる力が湧くそうですが、まあ、そこまで修業するのも面倒ですし、瞑想している時間があったら作業した方が良いと思います。

禅の中には動禅と行って、歩いたり掃除したりの禅があります。
書を書いたり、絵を描いたりする禅もありますので、作業、即、行という感じの方が、内観系の訓練より良いと思いますよ。

● 個人的なイメージとマス(集団の)イメージ

イメージは個人の持つ限界点までカバーできます。
個人個人のイメージ限界点が集まって、重なり合う部分がマスイメージと呼ばれるものです。
つまり、複数の人が好むイメージという物があるわけですね。
このマスイメージ範囲内で、人があまりやっていない部分のイメージを作ると、他人を引きつけられる模様です。
つまり良い物語というものは、人がやっていなくて、かつ、普遍的な物 という矛盾した物が強いようです。

●イメージを物語にする

浮かび上がったイメージは、色々細工して形にしていきます。
川から取った玉石を削り磨いて宝玉にするような行為ですね。

私の場合、イメージはシーンの形を取ります。
大抵は一場面、セリフ付きで動きます。
調子が良いときは背景から、気温から、辺りの隅々まで見える時があります。
まあ普通の時は、セリフとキャラの配置以外は茫漠としてるのですけどね。

複数のシーンを頭の中で連ねて荒い形に生成します。
この時に使える道具としてはフローチャートやキャラ表などの書類があります。
ふわふわしたイメージを書類や図面として仮確定させるわけです。
脳の中で空転させていると見えなかった物も、文に出し、絵に出すと確定、発展、展開することがよくあります。
思考を外界に出す感じですね。

つまり、イメージは脳内だけで作る物ではなく、手を動かして色々取捨選択することで、生成させていく物なのですな。

ちなみに、ここらへんの作業は非常に楽しいです。
なぜなら、欠点が出にくいですから。
イメージは、まだ半分茫漠とした雲に覆われていて、悪い点などは隠れています。
経験が少ない人は、この段階で「俺はすげえなあ、これは世界一の物語だ!」と増長したりします。
ですが勘違いしてはなりません。
最初の練りこみの段階で良くない物というのはあまり無いのです。
誰だって、多少訓練すれば、脳内で良いネタという物は作れます。

「俺のすばらしい企画をゲームにするために、絵師と文士と楽士をつのるぜ!」
って、人が結構いますが、たいていぽしゃります。
なぜかというと、「素晴らしい企画」なんかは、誰にだって作れるからなんです。

本当に難しいのは、イメージを企画にすることではなく、企画から作品を創造する方なんですね。
作品の形に整い始めると、企画段階では見えてこなかった欠点やらアラやらが見えてきて、一気にやる気が冷える時があります。

図2

●才能と努力

世の中には才能があって、天才と呼ばれる人もいますし、凡人もいます。
だれしも自分が天才だったらなあと思う物ですが、べつに凡才だからって絶望することはありません。努力すればいいのです。
天才は努力をする必要がありません。ので、なんかの拍子に才能が干上がったりしたとき凄くもろいのですな。
凡才は努力しかないですから、技術は自分の物です。調子を崩しても破綻する事が少なくてすみます。
天才よりもキレは悪いですが、真面目できちんとした物語を確実に作る事が出来ます。
時に努力は才能を磨き上げ、そこらへんの天才以上の物を作り出せる時もあります。
ようは、あきらめないことだと思います。

● イメージ力は人を幸せにするか

まあ、たまに幸せにしますが、時に不幸を呼んだりします。

世の中の全ての物事には裏と表があります。
イメージ力の光の面が「創作と工夫」であるなら、暗黒面は「疑心暗鬼と無力感」です。

物語を書く人は、結構変な人が多いです。
なんでかというと、物語を作るという行為は、もの凄く脳の資産をつかっちゃうのです。
つまり、日常生活や社会生活を司るべき脳の部分まで食いつぶして、物語エンジンの方へ回しちゃう人が多いのです。
で、結構奇矯な人が多くなるというわけです。

また、イメージ力が強いというのは、感じやすいという事でもありまして、世の生きにくさや、人の身の悲しさ、そういうネガティブな思考が心にダイレクトにぶつかって、鬱っぽくなる人も多いです。
文学者がなにかというと自殺しちゅうのも、これが原因なんだろうと思います。
人の内面をどこまでも降りていくほどのイメージ力をもちますので、思考が不健康に回るとどこまでも堕落しちゃうのですな。

ヘミングウェイは酒の力を借りないと創作ができなかったらしく、「誰がために鐘は鳴る」を書いてた時も飲んだくれていたらしいっす。
で、最終的に酒毒で脳をやられ、ろくな作品が作れなくなり、死にましたです。

まあ、気をつけようが無いのですが、創作とかしてると結構危ない所へ落ちる可能性もありますよと言っておきましょう。
また逆に、危ない所に落ちるほどのイメージ精度を持てないかもしれませんぞ、とも言っておきますですよ。

● まとめ

今回は「イメージ力が世界を制する」という感じで記事を締めさせていただきます。

次回は「あらすじがプロットの中心」という感じで、アウトライン、あらすじ、そこらへんあたりを語ろうかとおもいます。


文責:サカナ・ノベル

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